【読書感想文】今更ながら外山滋比古「思考の整理学」を読む。
少し時間があいた。
この一ヶ月は何をしていただろう?
少し前まで、つまらないミスや気のつかなさが相次いでたので、仕事は丁寧さを心がけた。休日は退屈しないよう予定を沢山詰め込んでいた。
少し、疲れたみたい。
以前から疲れていた、という表現の方が的確かもしれないけど。
やっぱり私は暇で退屈だと考える時間が必要みたい。日々の携帯触る時間や飲み会の量を減らせばいいんだけどな。やっぱり集中出来る環境を作ることが大事。だとすると、今はあまり集中力に欠ける住環境だなぁ。
物事が整理できる環境にいたいな。明日は掃除をしよう。暑くないといいな。
遅ればせながら
外山滋比古の「思考の整理学」を読んだ。
1年ぐらい前に話題になった本だ。
東大京大の学生がこぞってこれを読んでいたことから世の中に広まり、また、去年の高校野球で一躍スター選手になった元大阪桐蔭の根尾くんが読んでいた本である。
いくつもアイデアが形になるような、エッセンスがあって素敵だった。
私はいつでもメモ魔だ。
中学の頃からずっと、思ったことは書いている。中学の頃は詩みたいなことをつらつら書いているけど。
メモ魔が書いた膨大なメモは、感情から気に入った本の一文やドラマのセリフなど多岐にわたる。時間があるときはそのまま綺麗な字でノートに向かってたけど、社会人になってそれがなかなかに難しい。
この本ではいくつも、思考を整理するためのヒントが書かれてあるけど、私がやらねば、と思ったのは、メタノートの制作だ。
メモはあくまでメモだ。感情や、出来事や、ふとした小さなアイデア。
それを清書、もしくは清書以上に、抽象化された形にする作業が必要である。
そうかこれが足りてないな。
だから思考がいつまでも散乱していたり
疲れたりするわけだ。
そもそも、正直、メモするのが怖いときがある。
プライベートはともかくとして、
仕事のノートは同じ部署を4年目になるんだけど、このノートはほぼ走り書きのメモである。
時々メモを形にするために見開きに単語だけ書いて形にしようと頑張った跡があるけど。
このノートは手帳に昇華される形をとっている。手帳はほぼ日を使っているので、広いスペースに出来事や打ち合わせ内容を清書して、いつ誰と話したかを記録している。
しかし、仕事に関して、
失敗した、やってしまった、という感情を書くのが憚られる。本当はそんな気持ちに向き合った方が、きちんと仕事に取り組めるはず。
そんな時プライベートのメモ魔ノートに記載し、それを抽象化して昇華する。
すると、それがいつか別の形で、何かに生きる。
メモ魔健在。
書くことはいつまでも楽しい。
ブログも書けば早いのだ。
ブログだって、私の思考の整理の一つに過ぎない。