【読書感想文】終戦記念日~今更ながら坂口安吾の「堕落論」を読んでみた
今の高校教科書では終戦の日は9月2日らしい。
ポツダム宣言受諾の日だよね。歴史上、きちんと戦争が終わった日だ。
何かの船の上で、サインした、的な
(記憶やばくね???)
先日坂口安吾を読んでみた。
国語の時間に習う、坂口安吾「堕落論」「白痴」。学校での教育って、坂口安吾が何を書いたか?を習うよね。残念ながら全く読んでいなかった。読まずに、作品名だけを覚えてしまっていたんだな。10分あれば余裕で読める、非常に短い書き物であることも私は知らなかったんだな。
時間にも余裕があるので、何の知識もいれず、読んでみた。予備知識なしで、堕落論がどんなことを書いた話なのか、考えずに。
初めて坂口安吾の堕落論読んだ。最後の一段落、背中に掘ると決めた。 pic.twitter.com/kI4ZeEFPXY
— みぞれ (@mizoremental) 2019年8月12日
【超絶簡単な感想】
- 最後の一段落、背中に掘りたい。
- 戦後半年でこんなものを書いていた坂口安吾、すごい。
時間ないし坂口安吾なんて興味ねー、という人に届けたいのでこれを書いている。
私はこの作品を読んでから毎日読んでいる。
それほど心にとまったから。
【超絶簡単な紹介・要約】
- 戦後半年(正しくは46年4月)で発表された作品
- 女心は変りやすく(未亡人も新しい恋をするし)、(日本の)武士は仇討ちの法則などを知っていただけで(敵への)憎悪心が長続きしない。
- 武士道≒天皇(大義名分)
- 戦時中、安吾は偉大な破壊を愛した。運命に従順な人間の姿に美しさを覚えた。
- 戦時中、そこに堕落はなかった。
- 戦後、我々は自由を許されたが、不自由さに気づく。人間は変らない。人間へ戻ってきた。
- 戦争に負けたから堕ちるのではない。人間だから、生きているから堕ちるだけ。
- 自分自身の武士道・天皇を編み出すためには、正しく堕ちる道を堕ちきることが必要
★☆
坂口安吾に関して全く知らないので、解説文や評論は読まないことにしている。知識や思い込みを植え付けたくないから。純粋な気持ちで、坂口安吾を読んでどう思うか?を大事にしたい。(先日の外山に影響を受けた)
【読書感想文】今更ながら外山滋比古「思考の整理学」を読む。 - オドリバにて叫ぶ
人間は何かを信仰する。
宗教だけではない。政治だって仕事だって恋愛だって、私にとっての信仰心がないと、追い求める何かがないとその道を極めるのは難しい。
戦後落ち込んだ日本人たちは、信じるものを失いつつあった。政治に頼ろうとしたり、天皇陛下に変わる何かを、求めようとしたり。
日本が、国が、堕ちていく感覚。
だけどそれは戦争によって堕ちたわけでない。
人間とはもともとそうで、そんな世の中に戻っただけである。
堕ちるところまで堕ちきって、自分自身を発見しよう、、、、
今の世の中に十分通じるものがある。
堕ちていくほどの、戦争ほどの、何かはない。
(天災や恐ろしい犯罪はあるけど)
だけどジリジリと、やら年金がもらえない、賃金があがらない、生活は改善している感じがない、まさに、堕落。
しかし、平成に訪れた堕落は落ちるところ堕ちきって、まだ堕ち続ける。
令和を生きる人間は、堕ちきったあと、自分自身を発見できるだろうか?
坂口安吾の時代はもっと大きなものを皆追いかけていた。もっと同じものを人々は見つめていた。だからすごい。大きいものに巻かれないで自分自身を発見しようと言ったことが。
今は、人が興味持つものがバラバラで、情報が溢れすぎていて、生活も価値観求めるものも、バラバラ。
それぞれいろんな方向に堕ちきって、その先に令和の幸せを。私は相変わらず堕ちて、また見つめ直そうと思った。