オドリバにて叫ぶ

広告系で働く女(25)を煮たり焼いたりした雑記ブログ

文化住宅って知ってます?

 

実家の横に、

文化住宅が建っていた。

 

私は小さい時からその建物を

文化住宅」や「文化」と呼んでいた。

 

文化住宅って知ってる??

簡単に言えば、古いアパート、という意味。

と思っていた。

 

今その建物についての思い出を書こうと

改めて文化住宅についてググってみたんだけど、

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/文化住宅

意味は2の意味、

近畿地方での特別な呼び方なんだね。

一つ勉強になった。

 

その文化住宅

その古いアパートは2階建てで、

屋根が青い瓦で、階段や柱が赤い。

エレベーターは当たり前に無い。

1階で8戸2階で8戸ぐらいかなぁ?

 

不気味な建物で正直怖かった。

1階の端はなぜかドアの上から薄い木で

バッテンに封じられていた。

キミ悪いでしょ?

 

住んでいた住民は、どの人も個性的だった。

 

私なんかは、

中高女子校だし、私立の大学に行っていたし、

ある意味、親にはまぁよくしてもらった

といって過言では無い生活を送った人だから。

 

そういう私とは正反対の世界のように感じた。

壁を挟んだ向こう側は、全く異質な世界だった。

 

住民たちがどんな個性的だったか、

なんだけど、

書ける人だけ書くと、

(書けない人だらけ)

一人暮らしのおばあちゃんがいた。

 

白髪で綺麗なおばあちゃんは

1人で掃除や洗濯をこなしていた。

庭で私たち姉妹が遊んでいるのを見て、

時折折り紙をくれた。

 

私の祖母は、

きっとあのおばあちゃんは

昔美人だったに違いないとよく言った。

 

足が悪くなったおばあちゃんは

階段を降りるのに苦労していた。

母が手伝おうとすると、

おばあちゃんは、それを断った。

 

自分で、自分の足で生きていたい人だった。

いつかのタイミングでそう決めたようだった。

 

おばあちゃんが家で倒れ、

回覧板を回すタイミングで近所の人が気づき、

入院生活が始まったと聞いた。

その後は知らない。

 

そのおばあちゃんがきっと最後の住民だった。

直近はもう人が住んでいなかった。

 

私が一人暮らしを謳歌している間に

文化住宅は取り壊された。

 

その土地は

3軒の分譲住宅が建つという。

 

新しい、ご近所生活。

新しい、生活、人生がそこに生まれる。

 

不思議だ、

計16戸の思い出は

そこになかったようになるのが。

 

おばあちゃんの帰ってくる場所は

もうなくなってしまったから。